で、お前はどうしたいの?
今抱えている案件で、色々な部署と連携をとっていかなきゃいけないものがあります。
今私がいる部署はそんなものが多いのですが、私は特にそれが苦手。
異動前の部署はそんな場面なかったので、異動してきてからどうも慣れなくて。
顧客からの要望を取り敢えず関係部署に投げて、その返答を報告。
係わる人も多いと話もまとまらないし、頭がぐちゃぐちゃになるけど、兎に角案件を進めなきゃ!!と思ってたら部長に言われました。
「お前はただの伝達係をやっているのか?」
顧客の要望をなんの咀嚼もせず、そのまま投げてやったつもりになっていた。
部長がいうには、来たものを投げるのはアルバイトでもできる。
お前がやらなきゃできないという、私ならではの付加価値を付けてこそ仕事だ、と。
あぁ、おっしゃる通り。
部長はどんな時もどんな報告をしたときも「で、お前はどうしたいの?」と聞きます。
平成生まれのゆとり社会人にとってこれ程答えにくい質問はありません。
私がどうしたいの、ではなく、私はどうしたらいいの?そうやってものごとを考えてきた20数年間の思考回路はいつもそこで止まるのです。
私が絞り出した知恵に企業はお金を出してくれてる
私の踏み出した一歩に企業はお金を出してくれてるのだと
ゆとりだとそこまで教えないといけないのかと呆れられることもありますが、ふと会社を見渡すと意外と先輩も出来てないところをみます
組織が大きいと一個人の判断で動くのはすごく危険だし、コンプラ的にも人からの了承を得ないと出来ない場面は多々あるからとは思いますが、何かあったら責任責任と追求する社会になってるのがいけないんじゃないの!?
これゆとりの問題じゃないんじゃないの?!
テレビでもなんかあったら謝罪会見じゃん!
ご迷惑お掛けしましたって誰に迷惑かけたんだって話じゃん!
いい年したおばちゃんが線路入ったこと涙で謝るってどうかと思うよ!
(いや、まぁ、線路に入ること自体はいけないね)
あ、話が脱線してる。
と、まぁ私が盲目的に仕事を作業としてしか処理できていないときに部長が投げてくださる「で、お前はどうしたいの?」の質問にはいつもハッとさせられるということがいいたかった訳です。
仕事でモヤモヤしたときに私は一度心に聞いてみるのです
「私は、どうしたいの?」
常に自分の意思をもって動きたいなぁ
まだ私の夢見る社会人にはなれないなぁ